テニス選手のラケット投げる件(前半)

「テニス選手のラケット投げる件」よく話題になりますね。
今回は"長め"になりそうなので、まず結論。
私はあの行為が悪いとか、直せとかいう、ネガティブな意見をもちません。
大前提、このラケット投げる件とはいくつかの要因から考える必要があり、
まずそこからです。それすらもせず、
物を投げることをただ非難するのは、
「自分の中の常識」を世の中すべてに当てはめてしまう、頭で何も考えない人がやる行為
とまで思っています。


"ラケット投げる"を3つの視点から考える

1.プロスポーツ選手の世界

プロスポーツ選手の環境と、一般人の環境はまったく違うので、同じ物差しは通用しない」

選手たちの多くは10代でプロスポーツ選手の仕事を決めています。 早くに親元を離れた人も多いです。
毎日トレーニング、練習、移動、大会の日々、けれど、
試合だけで食べていけるテニス選手は少ない(シングルスだと100人くらい?)だそうです。
「職業」と1つに括っても、スポーツ選手のおかれる環境やそれに伴うストレスは一般人とはあまりに違います。


2.テニス選手

「テニス選手独自の環境やストレスが間違いなく存在する」

テニスでは海外遠征は週替わり、 世界ランキングのシステムも週替わり。過密スケジュールな故、結果も敏感に感じるでしょうし、 結果が思わしくなければ獲得賞金が下がるのはもちろん、大会スポンサーや個人スポンサーからの目も変わります。
一度コートに入ると1万〜2万人以上の人から観られ、良くも悪くも好き勝手言われます。もちろん中継を通して世界中の人からも好き勝手言われます。
その試合のキーポイントがあるとき、その1ポイントで賞金数千万円が決まったとも言えます。 こういう言い方が好きなファンもいますね。
負けた選手は「××年○○大会決勝であのショットが入っていたら…」と延々言われます。 それまでのキャリアがどれだけ良くても「○○で勝てなかった人」という印象に変わることも。

テニスは試合時間が長いことをよく取り上げられます。長いと5時間を超えます。
正確には"いつ終わるかわからない中での5時間"です。
そして"孤独に戦う"のがテニスです。
繰り返しですが毎週のように大会があるのがテニス選手。負けて負けて負けて…負けの方が多いわけです。そして 、目の前の"今この瞬間"が、今後を大きく決めます。

ふつうそんな状況ありません。
1万人に見られながら仕事することも、ミスしてSNSで叩かれることもなく、
20代で自分の仕事に生涯を懸けたことも、生涯かけて努力し続けたこともありません。正直、ほとんどの人がそうだと思います。
つまりは選手たちの環境やストレスはかなり特殊。
はっきし言って想像しきれません。

それでも、それでも、一般人の物差しでやれ「ラケットは投げちゃダメ」「作った人に失礼」だの言いたい人達は、根本的に間違ってると思います。


「ラケット投げることでプレーが良くなる」

あまりこれを口にしない人もいますが、ある程度テニスを観てる人からしたらわかってくるものです。それだけケースとしても少なくないですし、事実です。
元選手のギルバートの本にこうも書いてありました。
「コートの反対側にいるのは自分を負かして、自分から賞金を奪おうとするやつなんだ。 俺には家族を養っていかなきゃいけないんだ。」
グランドスラム決勝ともなれば勝者と敗者で賞金の差は1億円以上あります。
(余談、テニスの賞金というとグランドスラムの金額ばかり取り上げられますが、全体的には昔から他のスポーツよりも桁違いに少ない)
そんな状況下で、少しでもプレーに集中できる術があるなら、勝ちに繋がる可能性があるなら、警告を前提にでもラケットを投げた方が賢明とも思います。
大事な人の為にとった選択なら、世界中からバッシングされようが大したことではない、と考えるのも妥当です。
ここでも「一般人が感情的に物を投げる」のと、
プロスポーツ選手が計算して物を投げる」の意味の差は歴然です。



 

3.真剣勝負

「生業としている活動の中で、最もストレスのかかる場面ではプロスポーツ選手でも一般人でも同様、様々な選択を迫られる」

我々と違った世界に身をおいていても同じ人間です。
食事や睡眠や家事をして、好きなこと嫌いなことが同じようにあるわけです。
ビジネスマンや、本気で何かに取り組んだ人にはわかると思いますが、
「普段」と「真剣勝負(ビジネスシーン)」なときを比べて、
同じ心境や環境や価値観ってことありますか?

私は、ないです。
「普段」と「ビジネス」は分かれます。
友達に対する基準と、仕事仲間に対する基準、
プライベートと、ビジネス。
優先順位や常識に変化があっても、何ら不思議じゃありません。
本気で仕事してる人ほど、普段とのギャップが大きいことだってあるでしょう。
”普段の自分ではしないことを真剣勝負なときにはしてしまう”
これって我々でも大いにあるはずです。



3つの視点で考える別の例

「暴力が正当化されているお笑い」
似たようなフォーマットで当てはめられるのはいくつもあると思います。
私は昔からお笑いが好きでした。
その「日本のお笑い」は外国の方が観ると驚く、というのをよく聞きます。
暴力で笑いをとっているツッコミ芸人。暴力があった方が盛り上がるスタジオ。
暴力を観て笑っている視聴者。
テレビ業界、バラエティー番組、お笑い芸人というフィルターを通すと、暴力はほとんど批判されなくなります。
よくお笑いの暴力に対し、「愛がある」「ルールがある」「暴力ではなくツッコミ」
と補足するのを聞きます。
表現・ニュアンスは何にせよ、これらは暴力を肯定化しているだけで、
暴力の事実は変わりません。
彼らテレビ業界の方々は視聴者を"一般の方"と呼ぶほど、ある意味特殊な環境で、
「お笑い」も、我々には経験し得ない厳しい世界ではあるでしょう。

テニス選手への批判

テンプレ批判

何事にもお決まりの批判ってありますよね。
ラケット投げる選手を弁解すると、「ラケット投げない人もいます」
みんなと○○は違うから、と言うと「でも○○を選んだのは自分でしょ」
一言で、幼稚な意見です。
1つの事実をあげるだけでは、本質は見えてきません。
「本質な部分に対して、頭で考えることを止めた人」によく見る発言です。
また、「自分はテニスをあまり知らないけど…」と一言添える人も多いですが、
そんな前置き1つで素人の無知を補えるような、シンプルな話ではないんです。
こういう批判をされるともう建設的な会話になりません。


テンプレ批判(反論を一応)

「見ていて気持ち良くない」
スポーツ観るのが向いていません。
終始ポジティブなシーン、そんなフィクション作品をお探しください。

「子供に見せられない」
上と同じですが更に付け加えるなら、スポーツは素晴らしいはずです。
ストイックな姿勢、プロフェッショナル、スポーツマンシップもあり、
そして時に、残酷なシーンもあります。
要所要所に人間味がリアルタイムで表れます。
それ含めてスポーツ。それ含めて真剣勝負です。
それらの"カッコ良さ"と、"乗り越えるタフさ"の両方を子供に教えることができるかどうかは、近くにいいる大人次第。

「他の競技じゃやらない」
「試合中でもチームメイトと会話可能なサッカーと、試合中ずっと孤独なテニス。
だからサッカーよりテニスの方が大変なスポーツ。」
「日本では錦織圭よりイチロー選手の方が有名。
だからイチロー選手の方が成功している。」
「会社の会議でガムを噛んでいたら怒られる。でも試合中の野球選手は怒られない。
どちらも仕事中だってのに。だから野球界隈っておかしい。」

これらの文、正しいですか?
"Compare apples and oranges."という慣用句があるように、
比べられないことってたくさんある。
たった1つの要素を"同じスポーツ"とか、"同じビジネスシーン"といって、
比較するのは、無理な話です。

ラケット投げる以外にも

ラケット投げることに限りませんよね。表面的なシーンだけでネガティブに捉える人は。
去年ジャパンオープンでの西岡の記者会見に対しても批判が多かったです。
こんなときよく「プロとして~してほしい」とかありますが、
フェデラーイチロー選手や羽生選手とでも比べてるんでしょう。
それも各選手の良いところと。
ご自身の理想を体現してる人の名前を出すことで、
批判したい人を批判しやすくなりますね。
また2つを並べて、
「ラケット投げない人は良い人。ラケット投げる人は悪い人。」
「帽子外して記者会見するのが常識。常識がない人は悪い人。」
こんなように判断する人、けっこういますよ。
ただの1シーンだけで、その人の人間性にまで意見しないでほしい。
そんな安易なことをする人は、スポーツ見る目や思考力、想像力を養ってほしい。
「応援する気なくなりました」なんて言う人、どうぞこのスポーツから縁を切ってほしい。
あるいはご自身が、真剣勝負の経験がないのかもしれません。
因みにこれまで男子シングルス「世界ランキング1位」になった選手は28人。
その中でもラケットを投げ、破壊した選手はけっこういます。
ここ20年、ほとんどの元1位がラケット破壊をしています。
また「ナダルはラケットを投げたことない」という意見をよく見ますが、ラケット投げる以外での警告は、他の選手ともあまり変わらず受けている気がしないでもないです。
因みにあのフェデラーも、ラケット投げたシーン8回はありました。