テニスの起源って何だろうサイト

本文中の敬称は省略させていただくことがあります。

審判の仕事

 


審判の役割

テニス、スポーツには審判が欠かせません。
スポーツにはルールがあり、そのルールが機能している前提で行われます。
機能しているというのは”ルールが守られていること”とも解釈できます。
これを判断するのが審判(員)となるわけですから、
審判の仕事の主は「ルールを守って試合を進めること」に尽きます。
改めて、本記事はプロスポーツに限った話です。そして、
スポーツは”審判のもとルール厳守で行われるべき”ですが、
プロスポーツの世界で”ルール厳守はマストではない”という意外な真実があると思います。
もちろんこの審判に関する知見も、多くの要素が絡み合ってなかなかに複雑。

 

2009年全米オープン女子

2009年全米オープン女子。この大会の準決勝を覚えている人は多いと思います。
セリーナvクライシュテルス。大会史上1番の好カード。
もちろんナイトセッションで、激しい打ち合いでした。
しかし最後はセリーナのポイントペナルティ。
両者ボールを打たずして試合終了です。 
ここで問題となったのは、
ポイントペナルティのきっかけとなったのが線審のジャッジによるものでした。
(試合終了となったペナルティをとったのは主審、一連の騒動のきっかけとなったのが線審)
この試合を覚えている人は、
「セリーナが暴言を吐いた試合か」「あの線審か」と
最初に”暴言”や”線審の顔”を思い出したことでしょう。
グランドスラムの準決勝、レジェントvレジェントの激しい打ち合いにも関わらず、
ファンに強烈な印象を残したのは”選手のプレー以外”のものになったのです。


1980年ウィンブルドン男子

テニスの名試合といえば1980年ウィンブルドン男子決勝、ボルグvマッケンロー。
この試合は「伝説」とよく言われます。
もちろんプレーや記録がそれ相応の試合であることは間違いありませんが、
この日のマッケンローはおとなしく、審判に食ってかかるシーンはありませんでした。


ファンが観たいもの・ファンが作るもの

この2試合の違いは”第三者(審判)の介入度合い”です。
スポーツファンが観たいのは、選手のプレーであり、選手同士のバトルです。
ただの1試合でも、その先何年経っても盛り上がれるのがスポーツです。
今でもボルグやマッケンローのコスプレをする人はいますよね。
もちろん関係各社、選手達の身の回りも大きく変わるはず。 大会が伴う経済効果は莫大。
そういった様々な要素を含むのが「プロスポーツ」で、
様々な捉え方で「スポーツ大会の成功の是非」は決まります。
選手よりも、線審の顔をまず思い出す試合・大会を、
ファンは「良い大会」と言うでしょうか?


フットフォルトとネットフォルト

いろいろ考えていると、この2つのフォルトの違いにも直面します。
仮に「フットフォルトを意図してコールしない線審」がいたとして
その線審はネットによるフォルトも意図せずコールしないのでしょうか。
ではストロークのネットは?アウトは? 選手が足を使ったら?
すべてがフットフォルトと同様”失点につながる行為”。
ここの本質は、”フットフォルトとほかのフォルト”ではなく、
”フットフォルトとほかの失点行為”ということです。
これ以上考えるともうスポーツというより、心理学の話にまで踏み込みます。


「ルールを守る」方が簡単

それでも「セリーナvクライシュテルスの試合で起きたこと、
ルール厳守が”常に正しい”」という考えは、 論理的に破綻をしていなくても、
視野が狭い・説得力が乏しいと言わざるを得ません。
実際、名勝負かどうかに限らず、テニスに限らず、
これまでのすべての試合で”意図して審判が介入しなかったケースがいくつあるか”は誰にもわかりません。
「ルールを守ることは正しい」とは誰でも言えますが、
1つのプレー・1つの試合を正しく理解するのは、誰でもが出来るようなことではありません。 
「ルールを守ることは正しい」の主張一辺倒の方が、簡単なのです。